皇帝

自信というのは人のための言葉で、自然に溶け込めば溶け込むほど、自分というものは失われていくように思う。そもそも、自分にこだわっていたらいつか行き止まりがやってきてしまうのが生命というものだ。
役割を終えたかのようにみえる落ちた枯葉も、美しい冬の景色を彩るもののひとつだ。輝きというのは、若々しい姿形から発せられているものではなく、宿る命がもたらすものである。たとえその形が失われたとしても、宿った命の痕跡は消えることはない。目に見えない小さな小さな光の粒─森羅万象は、私の身体の中を駆け巡るのと同じように、この宇宙を駆け巡る。私たちは永遠に、いつまでもどこまでも、生命という存在としてあり続けるのである。

法王

自然はいつでも、そのまま大きくおなり、と言う。信頼という言葉だけでは決して表すことのできない、あったかくて大きい気持ち。人のまわりにある邪な気持ちさえも包み込み、何も言わないで、何かが目覚めるのを待っている。
それがなんなのか、わかったときにだけ流れ込んでくるものがある。
絶対に大切にしなければならないと強く思う。目のきわにじわじわと涙が溜まっていくだけの言葉にできない触れ合い。
魂として尊重されているという体験である。

悪魔

地球を遠くから見ている月は、宇宙が本当は闇でできていることを知っている。管理という名の下に、ゆっくりゆっくり支配されていったこの銀河は、地球が最後の森羅万象になってしまった。
地球は競い合うことを知らなかったし、殺しあうことも知らなかった。自分だけが生き延びようと思うものなどいなかった。1人では生きることができないと、誰もが知っていた。もともと、ひとつのいのちであるからだ。

私たちは知る必要がある。支配から逃れることができるのだと。私たちひとりひとりが、原始そうであったように生きることができるのだと。

死神

すべての時を見つめながら今を生きることの苦しみを誰も知らない。地球の終わりがやってくることを知りながら、切り倒されていく木々の思いに耳を傾ける人はいない。木が失われてゆくことは、わたしたちの命もまた、失われてゆくということだ。森羅万象の世界に死はないが、人間の都合に支配された魂はやがて病気になり、死に向かっていくことだろう。いのちが削られていくことは、森羅万象にとって最大の悲しみである。

魔術師

自然界に魔法はない。
しかし、いのちがあるところには、ふしぎな暖かさがある。それはまるで冬の季節につける暖炉のようなじんわりと大きなぬくもり。ひとりじゃないよ、とこころのなかにこだまする。私たち森羅万象は、どんなところにも花を咲かせることができるし、どんなところにも木を茂らすことができる。いのちがいのちを育むとき、有形無形現在過去未来、すべての森羅万象がそれを知るのである。その大号令は宇宙全体に響き渡り、遠く忘れ去られた星の、光の粒にまでも届くことだろう。

審判

私たち、森羅万象は、魂という存在である
今、このいのちを大切に扱うなら、それは時空を超えてあらゆる魂に働きかけることができる。1000年前の傷ついた魂も、400年後の弱っている魂にも、いまこの世界で遠く離れた場所に生きる元気のない魂にも、生きてゆく力を与えることができるのだ。本当は私たちはそうやって、影響し合って生きている。繋がりあって、助け合って、ひとつのいのちとして存在している。自分を慈しむとき、決して死ぬことのないわたしという全てを抱きしめている。時間も、空間も、過去も、未来も。すべてのいのちを抱きしめている。